« もうすぐホーリーウィーク(聖週間) | トップページ | 花苗をまた購入 »

母の随筆「正月神そして我が家」

徳島の母が書いたものです。ご覧いただければ幸いです。

正月神そして我が家

 私は昭和四年生まれなので、敗戦の時は十六歳。我が青春が青かったわけではない。

 戦争色、もう一つ言えば敗戦色で、おのずから神仏に距離があったような気がしている。

 その上、四年の一月末の生まれで、母の言うところによれば予定より一ヶ月も遅れて生まれてきて、「新の正月も旧の正月もさせなかった」そうである。

 母は十九歳で私を生んだが、その頃は一ヶ月も余分にお腹にいる子供がいたのだろうか。

 新の正月中に、出産騒動はかなわないと思い、旧正と決めていたら、その旧正前に生まれたのだろうが、我が家の気楽さは、そのことだけでも想像はつく。

 三男であった祖父が、鳴門の粟田村から

徳島市

の佐古町へ分家をし、(佐古七番町)(油問屋のあと二〇〇坪、平成十三年現在、日本生命)その祖父と私の両親は一緒に暮さなかったので、父や母は誰に気兼ねもなく、好きに生きてきた様であった。

 それで、お正月の神様をお迎えするのも、我が家独特のものであったか、父の子供の頃や、隣近所の見真似であったものかは解らない。

 父は神棚に、鏡餅、干した魚や柿のを飾り、松の枝に餅菓子を糸で垂らして正月神を迎えていたが大晦日の夜は、佐古の町から二軒屋の金毘羅様へお参りをする。歩いて行って歩いて帰るのだが、その帰り道に「福助」へ寄って、うどんを食べるのが我が家の毎年の年越しで、元旦に、若水を汲むのも父であったが、共同井戸から汲んでくるので、誰よりも早く汲みたいと、父は考えていたようであった。

 それから戦後となり、私も結婚をし、また近くで両親とは別に暮す事になったが、一家で、二箇所で正月神を迎える事もなかろうと、わたしの住居には神棚はつくらなかった。

 ところがいよいよある年に、母から、

「来年から、お正月の神様は、お前の所でまつりなよ」と言われてしまった。要するに父に神棚を貰っての正月神のバトンタッチという事であった。仕方がない…。

 それで、母のしていたように、お飾り物を買い揃え、白紙、水引、塩なども添えて私は主人に

 「正月の神様は男がまつるもんよ。」

 「どない飾るんぞ」

 「あれをああして、これを、こうして」飾るんよ、と言っても言っても、少しもこちらの意思が通じない。水平にするべき松の枝も、立ったまま、びくともしないままである。もはや…。

 そして四十年、亭主の好きな赤烏帽子と言う言葉もあって、我が家の正月神様は、古い神棚に、ゆかしく、愉快にやってきてくれている。

 そして、正月の神様と、娘一家が一緒に来てくれたりすると、すっかり私は神様の事を忘れてしまっていたりする。昨夜のうちにまつらねばならぬものを、今朝おそなえしたりで弁解に忙しい。

 紅白歌合戦で年を送り、氏神様に初詣をして、まだまだ、それも目と鼻の先に、別々に暮している長男一家に、正月の神様を譲るつもりはないのである。

|

« もうすぐホーリーウィーク(聖週間) | トップページ | 花苗をまた購入 »

母の随筆・詩・俳句」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« もうすぐホーリーウィーク(聖週間) | トップページ | 花苗をまた購入 »