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母の随筆

だんだんと残り少なくなってきた母の書いたもの。ご覧ください。

芭蕉祭に招かれて還暦

 娘から電話があって、「句集作ったら。費用は私達三人が持つから」、三人とは、娘、長男、次男のことだろうか。そう言えば、昭和も終わりに近い、六十三年八月が主人の満六十歳。年を越した一月が私の満六十歳。長女が私の二十歳で、末っ子の次男が三十歳で生まれているので、子供達もそれぞれ三十歳代となって、親の還暦が気になってのことだろう。

 「私達の還暦は十年遅れだからね」と私。

 「還暦はおくれないわよ」、と娘。

 それでも意地をまがってでも通すのが私である。ところが芭蕉祭に招待されることになった。九月の二十日頃、伊賀上野市から連絡があった。「貴女の句、『精霊舟しづかな波へ送り出す』、が特選に入り、招待致します。」

 夢かと思った。どっきりカメラかと思う。どっきりカメラなら、主宰も一枚加わって?。ないない。そんなこと。

句は、母が亡くなって、毎年新町川の流燈会で流している精霊舟のものであった。それからの、十月十二日まで、芭蕉祭までの永かったこと。二十日間ほどの待つ身のつらさである。じっとしていられない。じっとしていられないから「とくしま県民文芸」へ、随筆一つ現代詩一つ、俳句二句。そして一着、洋服を縫った。洋服は、芭蕉祭の授賞式で着る事が出来たが、県民文芸への方は、後で読み返すとどれもこれも疾風のごとくであった。

 芭蕉祭への招待は全国で五名、男一人、女四人であった。県別では、北海道が一人、九州、四国、京都、地元と、それぞれ一名ずつの計五名。俳聖殿には、以前特選の先輩二人の句

 「臈たけき身を横たへてす」

 「匂ふまで鎌磨ぎあげて梅雨の」の句が読み取れるほどの位置に懸額されていたが読み違えておればお許し願いたい。私の句もまたそうして残される事になるのだろう。故郷塚で忌を修したが、松苗の吟行句会でお供をしたことのある故郷塚であった。俳聖殿で、献花、献菓、合唱も厳かに。光栄な事でありました。帰ってから娘に電話をしておく。

 「還暦祝すんだわヨ。芭蕉さんに逢ってきたからネ」

 よい還暦祝いでありました。ほんとうに。

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