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徳島の母の随筆です。ご覧下さい。

  

      「爺」

 私の叔母の「いとえさん」は、現在もなお美人で健康で、大阪の飛田界隈に独りで暮している。

 戦前の、カフェー・ゴンドラの時代、それから戦後の寿司屋の時代を経て、いとえさんは今その店を他人に貸し、二階で一人暮しているのである。

 むかし、三百軒が軒を並べ不夜城を誇った飛田遊郭の、ほぼ真中辺りを現在は高架の高速道路が貫き、その高速道にほんの少し外れたばっかりに、などと言っては悪いかもしれないが、叔母はそこで、時々覗きにやってくる子供たちや孫を頼みに暮している様子である。

 それでも、いとえさんが綺麗であるのを見ると、やはり美女であらねばと思うのである。美女は年をとっても美女なのであった。

 世間ではそんな女のもって生まれた不平等を埋め合わせるかのように、美人薄命だとか、美女は薄情だとか言ってくれるが、決して不美人が深情けであるとは限るまい。

 あの、パール・バックの大地にしても、紫式部の源氏物語にしても書き手が女性である場合、作者が美女であったか否かは別として女ならではの怨念が、おんおんとこもっているような気がしてならぬのである。

 いとえさんの父、私にとっては祖父の事を私は「爺」と言っていたが、爺にとって私は初孫であったので、どの従姉妹よりも私はその爺に可愛がられたと思っている。

 爺は果物や乾物の仲買人で、多分もうトラック等もあったのかもしれないのだが、爺の場合は荷車を引いて商売をしていて、讃岐の引田や白鳥まで行く時は何台もの荷車を連ねて山越えをするのだそうで、爺の手のひらは十能の様であった。

 その手に、煙草の火種を転がしつつ、のきざみ煙草を詰め替えたり、時に鋏で手の皮を切っていたりしたが、爺が添い寝をしてくれる時はきまってその手で私の両足を揃え、はよう大きいなれ、大きいなれとさすってくれたものであった。

 そして爺には芝居などにも連れて行ってもらったが、あれは多分、蔵本座であったのだろう。佐古にも一心座と言うのがあったが、蔵本座の方であったと思う。男女の心中ものの芝居であって、それも男が女に心中を持ちかけながら女には毒を、おのれはメリケン粉を飲むと言う筋書きの芝居であった。

 男の履いていた大きく分厚い桐下駄が、はたはたと今も私の目の前に迫ってくるのは、舞台にかぶりついて見ていたのであったのだろうか。

 そのうちに、両国橋の北側にサーカスが来て、それにも連れて行って貰ったのだがその小屋の中で私は爺とはぐれてしまった。

 小屋の中で爺は私の後ろの席にいたが、爺が何か言ったかなと思いつつ、しばらくしてふりかえってみると爺がいないのであった。まさか爺が私を残して帰ったとは思わなかったが、うろうろするのがみっともなくて、つい外まで出てきてしまったのであった。そしてサーカスの入り口のよく見える両国橋の上で待っていたのだが、サーカスが終わり、客はおそらく全部出てしまったと思う頃になっても爺の姿はあらわれなかった。

 それで仕方なく家に戻ってきたのだったが、そのうちに、爺は真っ青な顔をして、

 「フミ子をサーカスに取られてしもた!」と、飛込んで来たが、そこに私がいるのを見ると、へなへなと腰を抜かした様であった。

 五つか六つの子供が、初めて連れて行った両国橋辺りから、佐古の町まで、一人で戻った事が爺にはどうしても信じられない様子であったが、何よりも、まわりの者から、やっぱり無責任男と責めたてられ、それから後は、どこへも連れて行ってもらえなくなったような気がする。

 爺は、言ってみれば、世間の目から見れば落ちこぼれの様であった。どうも私の母方は女系家族の様でもあって、何人かの女の子の下にやっと生まれて男子であったので、初老の両親や姉達のもとで爺は男になり損ねたのかもしれなかった。いや、私の母や、いとえさん達がそう言っていた。

 夕方になると爺が、がらがらと荷車を引いて帰ってくるが、その頃になると近所に男たちが寄っていて、戻った爺を、そのまま飲み屋へっていくのだそうであり、まるで、脚本家の橋田壽賀子描くところの男の様であってみっともない。

 だが、我慢をする人ではなかったものか、耐えきれなくなったものか、妻女が蒸発をしてしまった。妻女とはつまり、私の祖母であり、いとえさん達の母親なのであって、のちにカフェーを買い取り、いとえさん達と一緒に水商売をした人である。

 その祖母は、夏でもきっちりと白い足袋を穿いていて大きな声を出すような人ではなかった。そして、子供たちを置いて蒸発した事への償いの様に孫達を大切に暮した人でもあったが、爺との間は夫婦のままで、どちらからも籍を抜くような話は出なかったらしく、現在は同じ墓に眠っている。

 爺は、病気になってからは、毎春のお遍路さんへの接待を私にさせていた。佐古の本町は、遍路道でもあったのでお遍路の頃は、一升枡に一銭銅貨を入れ、それを私に持たせるのであった。私は通りかかる遍路に、「おせったいを、どうぞ」と、一人に二枚ずつ手渡すのだが、お遍路さんは暫く私にお経をあげ、お辞儀をして去って行く。

 爺自身は、元気な内にお四国さんを済ませており、死に装束の白い経帷子を自分のものと、二十年別に暮し通した妻のものと二枚用意してあって、それを見つけた私の母の姉である方の叔母が、仏壇の奥のほうにしまってあったのを取り出して、

 「こんなもん、えてあってなあ…」

と、言っていたのを知っている。

 もうその叔母も私の母も亡く、時々、私は爺の分まで生きねばならぬか、などと思ってみたりする事があるが、どうやら日本人も宇宙遊泳をする時代となりつつある様で、これからの男と女の関りも随分と違ったものになってくるのだろう。最近、源氏物語が女性の手によってマンガに登場しているらしいので一度読んで見たいと思っているが、日本男子も大和撫子も心身ともにスマートに仕上がっているのだろうか。

 ところでこのところ度々、テレビはアメリカ大統領の女性問題を報じている。その上に、大統領の女性問題はこの度が初めてではない様子でもあるのだが、夫人のヒラリーさんは美人で有能で、間違っても毒を飲まされるような女性ではないが、一緒に映ったクリントンの方はまるでメリケン粉でも飲んだ顔付きでアップであった。

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