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あいまいもこと1

徳島の母が子供の頃、大阪の叔母の事を「いとえさん」と呼んでいた頃の昔話を3回連載致します。

           あいまいもこと 一

 叔母のことを、「いとえさん」と私は言っていた。母がそう呼ぶからだった。

 いとえさんは十八才位で最初の子を身篭っていた。いとえさんと私は年が十一違うので当時七才であったろう私にはそんな事はわからなかった。

 いとえさんの所には、私の母や、いとえさんの母親であるところの、私にとっては祖母が居て、その頃はその祖母が芯になりカフェをしていたが、年の暮れになってから、いとえさんが寝こんでしまったので、私と妹を連れて母が手伝いに行ったのであった。

 私はその、若くて綺麗な叔母が好きであったし、カフェーゴンドラという名もモダンに思えて好きであったが、それと同じ位に、大阪弁にもあこがれるようになっていた。

 ニ、三日もするうちに、自分の阿波訛がみじめに思えて仕方がなかった。

 店は、飛田の北門の四つ角にあって、飛田とは、飛田遊郭の、遊郭を言わないでも解っているような呼び名であって、朝は非常におそい処であった。

 朝のうちはどの店も、眠りこけている様な界隈であった。ぼんやりと東の方から乳色に明るんできた町に、やがて朝日が曲がりこんだように射す頃になると、リヤカーをひっぱてのろのろと屑拾いが通り、たまに老婆が買い物籠を抱えて市場のある方へ歩いて行く。その辺りにこもをかぶって寝転んでいる浮浪者もあって、祖母は、この辺を歩く時は口を結んでさっさと歩く様にと、母や私に言って聞かせる。荷物などは提げたりしないで抱えて歩くこと。地下足袋をはいて何もしないでうろうろしている人や、寝転んでいる浮浪者が突然立ち上がり、ひったくって行くことがあるのだと言う。口を結んで歩くのは、田舎ものだと思われないためだそうであった。

 そして、隣には私と同い年の女の子がいたが、その子とは余り口をきいたりしないほうが良いとも祖母は言う。この辺には珍しくふとん屋が隣にあってそこの女の子の事だった。

 けれど余り広くもない家に住みこんでいる女給さんや子守さんや、一つ違いの私の妹や、祖母が寝静まっている頃に二階から階段の音をしのばせて下に降り、勝手口から鍵を開けて一人外に出て、大人達の知らぬ間に明けてくる町を見ているのは楽しい事であった。 

 子守は、いとえさんと、私の母との間にあったもう一人の叔母が残した子供で、私には従姉妹になる女の子がまだ小さいので雇っていたのであって、伯父の故郷の岡山の、山奥から来ているらしかった。その叔母は肺を病んで前の年のはじめに亡くなっていた。

 その残された乳飲み子を他人にまかせられないと祖母は、いとえさんを亡くなった叔母のあとの、後添いに叔父と一緒にさせたのであった。叔父は近くの料亭の板前で、そういう職業に似合わず酒を少々口にするだけで、煙草も吸わぬ色白の真面目な人であった。

 祖母の見込んだその叔父は、いとえさんより丁度一まわり年上で、そのせいかどうか、いとえさんは何時までも叔父のことを義兄さん義兄さんと呼んでいたようであった。

 そういう事で、通天閣も、天王寺の動物園も歩いて行けるけれど、連れて行って貰ったのはずっと後の事で、三年も四年も後になってから大阪へ行った折にであった。

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